毎日、船積書類を扱う関係で「船」と「港」について考えます。
私の地元神戸は、震災前は世界有数のコンテナ量を誇る港。通勤電車からは瀬戸内海に浮かぶ船を眺めるとほっとします。
人間関係も船と港なのかなと最近思います。
一人の人間として僕は船であり、航海しています。
どこに進むかは自分で決める。
20代前半から中盤、特に僕は思うままに航海を続けていました。
働いている今も、まだ内海かもしれないけど航海中。
最近気づいたのは、船はひたすら移動し続けないということ。
必ず帰る場所もあります。休憩もします。
必要な船荷を届けたら、代わりの船荷を積み込み母港に戻るのです。
戻って荷物を降ろしたり、船の点検、食料や燃料の補給します。
そして、船はまた次の航海へ向かいます。
港がなければ安全な航海はままなりません。
人間関係でも同じでどんな人も一人の船として生きています。
自分の中に「船」と「港」の要素を兼ね備えることができればすごいです。
セルフコントロールが効いているということ。ただ僕には無理な気がします。
僕は自分自身の港になれなくても、大切な人の港になれないかと最近思っています。誰かが僕の港でいてくれれば、ちっぽけな船も安心して進めます。
まだまだ半人前の船。港として誰かを受け入れる容量もあまちゃん。
一人前の船になり、一人前の誰かの港になれる。それが僕の理想の大人なのかも。
写真:神戸ハーバーランド