SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

船として港としての役割。

毎日、船積書類を扱う関係で「船」と「港」について考えます。

私の地元神戸は、震災前は世界有数のコンテナ量を誇る港。通勤電車からは瀬戸内海に浮かぶ船を眺めるとほっとします。

 

人間関係も船と港なのかなと最近思います。

一人の人間として僕は船であり、航海しています。

どこに進むかは自分で決める。

20代前半から中盤、特に僕は思うままに航海を続けていました。

働いている今も、まだ内海かもしれないけど航海中。

 

最近気づいたのは、船はひたすら移動し続けないということ。

必ず帰る場所もあります。休憩もします。

必要な船荷を届けたら、代わりの船荷を積み込み母港に戻るのです。

戻って荷物を降ろしたり、船の点検、食料や燃料の補給します。

そして、船はまた次の航海へ向かいます。

港がなければ安全な航海はままなりません。

 

 

人間関係でも同じでどんな人も一人の船として生きています。

自分の中に「船」と「港」の要素を兼ね備えることができればすごいです。

セルフコントロールが効いているということ。ただ僕には無理な気がします。

 

僕は自分自身の港になれなくても、大切な人の港になれないかと最近思っています。誰かが僕の港でいてくれれば、ちっぽけな船も安心して進めます。

まだまだ半人前の船。港として誰かを受け入れる容量もあまちゃん

一人前の船になり、一人前の誰かの港になれる。それが僕の理想の大人なのかも。

 

写真:神戸ハーバーランド

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