SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

「深夜特急ノート 旅する力」の読書メモ。旅とは・先生とは

友人にプレゼントしたはずの「旅する力 深夜特急ノート」*沢木耕太郎・新潮社*をを逆に貸してもらった。もう一度読みたくなったのだ。

深夜特急とは多くの人がすでに知っているだろうけれど、沢木耕太郎氏が26才から1年半かけて香港からヨーロッパまでバスで横断旅行をする私小説である。取り上げる本は、その後30数年以上経た著者の旅に関する考察をまとめた1冊。

旅する力―深夜特急ノート

旅する力―深夜特急ノート

今日は旅のストーリー云々でなく、そもそも旅とは何ぞや??ということを考えこんでしまった。

人は何で旅に出るのか。
なんで人生は旅だ、なんていってしまうのか。
旅をすることで人は何を求めているのか。


さらっとこの旅する力を読んだけれど、1年少し前に読んだ時よりも多くのメッセージをこの本が今の自分に与えてくれている気がする。旅行の手配、過程に日々関わるだけでは忘れがちな大事な部分を改めて考えさせられた。


「私にとって旅とは人に会いに行くこと」
この本を僕にプレゼントしてくれた最初の人はは、とあるカフェのママさんだった。行動力抜群のママさんは私が大学時代の頃から、国際関係・ボランティア・人生論をふっかけてきて、いろんな話を聞かせてくれた。1杯400円のコーヒーは当時の自分には少し高いものだったけど、それ以上に多くのことを学んだ。


そんなママさんはなんと、1年数ヶ月前わざわざバンガロールまで旦那さんと一緒に会いに来てくださった。そしてこの、「旅する力 深夜特急ノート」をプレゼントしてくれた。まさかインドまで会いにくるなんて・・・まさに旅だ・・と、有限実行のほどを見せつけられた。「次は、バングラディッシュ。もうインドに来る機会はないだろうな・・」とたった2日間の滞在期間だったけど、時間を作っていただいた私自身にとって、忘れられない人間関係の交差だった。


誰かに会うこと。少し距離が伸びると、それも旅になる。
この本はまた近いうちにプレゼントした友人に返す。その友達が誰かに渡すか、そのまま家に保管するか、ブックオフへ行くか!?はわからないけれど、この本は自分ひとりでなく、いろんな人に渡ってほしいと思ったりする。



以下読書メモ

○「あるいは、私が旅で得た最大のものは、自分はどこででも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていけるという自信を持つことできた。しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでもいけていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことになってしまったのだった。」*P183 旅の行方*


→よくわかる。旅ではないけれど、インドに住み2年近く経つが私自身バンガロールは仮の場所・・という感覚があるし、デリーでもカナダのトロントでも同じだった。そしていろんな国への移動することは、知らない発見の連続とともに自分の本拠地のような場所をどんどんわからなくさせている気がする。
 だからわざと、地元の神戸や関西のことを口にして、自分の居場所を再確認しようとすることがある。仕事の関係でそんなことも言ってられないことは重々承知。でも、自分はこの町で、この国でやってくんだな・・という感覚は長く住む場合は私には絶対必要だと改めて感じる。




○この「小太りの中年オッサン」とは、後に「南蛮学」の大家として有名になる松田毅一である。私は大学で松田先生にスペイン語の授業を受けたことがあるのだ。私は、単に教師を教師であるというだけの理由で「先生」と呼ぶのは好まない。それは、私の気持ちのどこかでひとりの人間にとって「先生」と呼べる相手がそうたくさんいてはたまらない、という思いがあるからだろう。

だから小学校から大学までの数多くの教師と接していながら、素直に「先生」と呼べる教師は何人もいない。しかし、不思議なことに、教師と生徒という関係でいえば極めて淡いものでしかなかったはずの松田先生に対しては、素直に「先生」と口にすることができるのだ。それは、たぶん松田先生が私の「先生像」に合致するところを多く持っていたからだろうとういう気がする。P263*旅の記憶*


→旅とは何かでないけど、著者が旅をする上で、いや生きる上で影響を受けた人についての考察。よーくわかる。小学校から大学まであまたの先生と呼んできた人がいるけれど、その中で今でも職業としてでなく教えを授けてくれた先人という意味の先生は、数少ない。大学時代に先生と呼べる人に出会えたことが生き方に大きな影響を受けたことをモロに感じしているけれど、小・中・高の「先生」を改めて考えたりしてみた。




○私が松田先生の授業に引かれたのは、授業の合間の雑談が面白かったということもあるが、それ以上に、人間として松田先生が興味深かったのだろうと思う。私たちは、少なくとも私は、大学の講義に、書物に記されあるような知識の断片を求めているわけではなかった。私たちは、いや私は、大学の教師から何らかの「熱」を浴びたかったのだと思う。その「熱」に感応して、自分も何かをしたかったのだと思う。そして、松田先生には、研究者としての、教育者としての「熱」が間違いなくあった。P264*旅の記憶*


→もう旅のことと話がずれているけれど大きく共感する部分。先生に何を求めていたのか改めて大学時代を振り返るとやはり、教科書のあらすじでなく、その人の声から発せられる生き方を感じたかったのかなと思う。

たとえ大学の先生でなくても、その熱を感じる人に出会い、この人はすごい、思わされる人との出会い若いうちに何より大切なことだと思う。