今から1600年前インド北部に、ナーランダ大学(Nalanda University)という世界最古の大学が存在しました。全盛期には1万人の学生が学び、この地には地上9階建て図書館が存在したとされます。
三蔵法師のモデル玄奘三蔵もこの地で仏教を学び、多くの書物をサンスクリット語から中国語に翻訳し、仏教の東アジアへの普及に貢献しています。
朝食がてら読み返す「ガンジー自叙伝 真理の実験」(講談社出版)
さてさて・・時は移り変わり、2013年のインド。
デリー・バンガロールでも、公共スペースで本が読める場所が少ないです。日本では、どこのカフェでも本を読んだり、勉強に励む人がいますがインドのカフェでとても少ないです。音楽がうるさい、1人でカフェに来るやつはすぐに飲み物を飲んだら帰れといわんばかりの店員の雰囲気。
※ただし最近、通っている外国チェーンのカフェでは音楽もうるさくなく、ゆっくり本が読めるので日本に居るときのようにすごせます。
大学や教会内には図書館があり、学生が必死で勉強しています。
「図書館の本を読む=教育を受ける学生」
国を挙げての高等教育の充実を図るインドでは、教育に必ず付属する位置づけです。
私が生まれ育った神戸には政令指定都市のためか全区に、図書館がありましたし、レストランや学習スペース付きの中央図書館が神戸駅周辺にありました。近くには雰囲気の良いカフェもあり、本をめくりながらおいしい珈琲を味わっていました。
卒業した大学には、大宮図書館には「竹取物語」「新古今和歌集」なども所蔵される渋い図書館がありました。作家の司馬遼太郎は新聞記者時代に大宮図書館で本を借り、本願寺の境内で寝転びながら読書をしていたそうです。
留学先だったカナダ・トロント時代にはトロント大学(U of T)では正規の学生外の私も入館して、館内で本を読み、ゆったりと自習するスペースがありました。世界中の人種、言葉、宗教の違い人たちが必死で机に向かって勉強する風景は圧巻というか、「俺もやらな・・」という雰囲気に引き込まれる空間が出来上がっていました。自習スペースを確保するのが大変な作業でした。
日本では図書館を学校を卒業した社会人が利用し、大学生は各大学に充実した図書館があるにも関らず本を読まない・・・というジレンマがあります。
私も大学時代は、図書館をフル活用していたとはいい難い部類の学生でしたので、改めてゆっくり本を読むスペースの少ないインドで暮らすことで、図書館のありがたさを感じています。
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参考情報
・ナーランダ大学(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E5%A4%A7%E5%AD%A6
・インドの出版事情と図書館―出張報告: アジア情報室通報 第8巻第2号
http://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin8-2-1.php
・龍谷大学図書館ページ
母校、龍大も卒業生には1年間無料。※更新後は年間1000円。
http://rwave.lib.ryukoku.ac.jp/hp/graduate/index.html
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