SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

ちょっと書いてみよう。

働き始めて3週間が過ぎる。「あせらないと」という思いが強い。
仕事はまだまだ覚えることが山のようにある。家に帰ったらくたくたですぐ寝てしまう。ご飯を作り、洗濯をし、メールを読み、コーヒーでも飲む。そんな感じで一定のリズムのスパイラルに入りこんでいる。

社会人ってこんなもん?

そう思ったりもするが、自分らしくアンテナが前に向かって探っている感覚もない。こんな感じで生活していたらあっというまに1年が過ぎていく。また次の1年。そしていつの間にか自分の中で何もこれといったものを得られないまま終わるのではないか・・・と考えると、洒落にならない。

南インド、バンガロールという地で自分が何をやるのか。

◆旅行業からインドを見ていく。
仕事ととして、必要な業務をこなしていくことも大事。でも自分はインドという地で世界の潮流を体感してしていたいと勝手ながら思う。日本とインドの関係を末端から丁寧に感じ取っていきたい。そのためにはルーティンワーク以外に、自分で仕事を作り出す感覚ないとだめ。関わり方、具体的なイメージの作り方が受け身と、発信する側では天と地ほどの差がある。今のままでは与えられた仕事を必死に、しかも時間を使いすぎて非効率な状態。先のステップを考えながら、仕事をやってきたい。+αで何かに取り組む感覚が自分にとってかけがえのない時間になると思う。そのためにインドにいる。

◆自分のホームグラウンドをつくる。(専門)
インドに来る前からいろいろ考えた。これしか生き残る道はない(何から生き残るは不明だが・・)「ホームグラウンド」、つまり専門とするものを積み上げていくこと。たとえばタミル語。南インド人の多くと北部スリランカ人がタミル語を話す。スリランカに細く長く関わるにしても、タミル語は必要な言葉。今の僕には一番学びやすいチャンス。

◆国際協力の世界で生きていこう。(想い)
今年の冬からあまり気持ちが上がらない時期が続いた。何もやりたくない。特に国際協力のことにほとんど興味がわかない時期だった。大学5年間でのいろんなことが積み重なって、もうあまりそのことを考えたくない思う時期だった。
この業界でご飯を食べていくことはプロになること。1人でも生きていける技量が求められる。中小企業の社長さんと同じである。多くの先輩方をみていると、中途半端な感覚で入り込むと大変なことになることがみえている。

国際協力の関わり方は千差万別。企業に入っても、個人としてボランティアとしても関わり続けるだろう。そういう社会が拡大していくべきだと思うし、世の中に援助業界で生きていく人間が多いほうがいびつだと思う。なんでだろうか。わからない。今は適当な答えをだそうとしても無理。

僕はただこの業界で出会った人との人間関係から多くの学びを得てきた。自分をつくってこれた。今の自分のものの考え方があるのは、国際協力という業界に多少でも身を置いたから。それまでの高校時代以前とは全く違う感覚といえる。

そして「社会の中で必死に頑張る人の力になりたい。その過程に関わりたい」。

これは僕のキーワードです。日本でも選択肢は山ほどある。でも外に目が向いている自分がここにいる。これから1年、2年とじっくり働きながら自分の方向性をしっかり見定めていきたい。

書くことによって、自分がわかる。話す相手が限られるから、自分の生の感情に気づきにくい。想った事は書いて書いて、書く。最近、なんとなくゆるい日記ばかり書いてたからいい機会でした〜