SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

始まりから5年

丸一日のお休みは体の疲れより頭の整理整頓の日です。

なぜインドにいるのか?

2年後、3年後どうなっているのか?

そのために何を今しないといけないのか。

仕事に追われると、そんなことを考える暇がありません。

だからこそ、大切なことをきちんと考える日が必要です。


僕が初めてスリランカを訪れたのは2005年9月初め。
ちょうど5年前の今頃でした。

あの時がなければ、僕は間違いなく日本でサラリーマンをしていたはずです。一年休学もしていなかったはずです。

人生とはわからないもんです。

現在はインド・バンガロールにいるわけです。

バンガロールにいますが、それでもスリランカが僕にとってキーワードであり続けています。そうかってに思い込んでいいます。

スカイプで相方さんと話をしていても「やっぱり、いつかスリランカのために働きたいわ」と口から臭いでまかせがでてきます。自分でも驚きますが。。

勝手に師匠と思っている中村尚子司先生のスリランカでのフィーフィールドワークぶりは、19になりたての僕に大きな衝撃でした。

自分より48才年上の老人の背中をみて、こんなことができる人になりたいと、憧れました。(いまでもそのイメージが強くあります)

中村先生は現場をものすごく大事にしますが、それ以外に膨大な読書量が現場力を支えていました。

自分はそれに遠く及ばない不勉強で、語学もろくに続けれない性格。

そんな自分を「大学院よりも働いて学ぶことのほうが多いです。何年か頑張ってきなさい」と送りだしてくれました。

「せっかくバンガロールにいるんですからタミル語をやりなさい。そして書ける英語をできるようにしなさい」

的を得ていると自分でも思います。

僕はスリランカに関して誰にも負けない人になりたい。

そのためには言葉が必要。スリランカに関わるならば、シンハラ語タミル語の両方を使いこなせる人材であることは大きな利点になります。

現場レベルの貧しい、貧困と内戦にあえぐ人々は英語を話すことできるわけもなく、現地の人びとの声を知るすべはやはり言語習得以外ありません。

スリランカにいてもタミル語ができる日本人はほとんどいません。
バンガロールにいてタミル語ができるということは大変恵まれた環境だということです。

ファシリテーションの技術などはきっと後で経験とともに蓄えていくものだと思います。

今は、語学タミル語をやる時期なのです。
(書きながら自分に言い聞かせています)

バンガロールでの仕事は、スリランカよりもスケールが大きいだろうな・・・と予想した1年前の勘やはりも当たっていました。

今できることを一生懸命頑張る。忙しくても自分の目的を忘れてはいけない。

5年前の19の自分を思い出します。そして思います。

紆余曲折を経ながらも僕は、その道を今も進んでいるだと。

やっぱり、スリランカの役に立つ人になりたい。頑張ろう。