SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

国際協力と内政干渉と宗教

今週水曜日に京都府庁内で所属NGOの展示・ミニ講演会があった。

僕はスリランカの茶園地域の幼稚園支援事業について10分ほどプレゼンさせていただいた。参加者は全員、京都府庁の職員さん。手作りボード片手に、スリランカのことを少しでも知ってもらうべく説明させてもらいました。参加者は少なかったですが、質問がとても深かった。返答に本気でつまった。このことはいろんな人と議論したいぐらい。


「宗教をバックボーンにしている国際協力団体(うちの場合は仏教)が、他宗教の人びとを支援することに受益者(ヒンドウ教・イスラム教)はどう思っているのか。そのことにどう思うか」

田豊一さんの「ボランティア未来論」に登場する宗教と援助の関係。

ボランティア未来論―私が気づけば社会が変わる

ボランティア未来論―私が気づけば社会が変わる


僕は返答につまりながら
「仏教系であることを支援地域関係者から不満や小言を聞いたことはありません。私たちの支援を喜んでいます。ですが、支援を受ける末端の受益者がどのように思っているかは、わかりません」と答えた。


「高い教育への参加が閉ざされているといいますが、幼稚園を支援するのもいいですがそれを解決しなければこの問題は変わらないのではないでしょうか。」

スリランカの紅茶園で働く人々に高い教育を受けるチャンスを受けにくい。家から10キロ以上離れた中学、働いて稼ぎ手にならなければならない、という現実。

スリランカ滞在中に、JICA専門家の方が「私の現在の博士論文研究は紅茶園プランテーションをスリランカから解体すること」と言っていた。プランテーションとそこで生きる人びととの従属的な関係を変えなければ、茶園地域の貧困は変わらないのではないか、という問い。

はっきり言って、わからない。
問題の本質にアクセスする支援のあり方。
支援する人もその有無を知りたがっている。
多くの支援は外から「あなたの国は貧しい。問題だから、私たちが代わりに支援します」という類がほとんどだ。

慣れ過ぎていて忘れていたことを、再認識した。