SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

シンガポールはスリランカの言語政策を教訓にした。

スリランカの言語政策について書いてみる。

スリランカの言語政策(言語教育)はこの国の長い戦争要因のひとつ。
この国は公用語は「シンハラ語タミル語」、共通語として「英語」を公式言語と認めている。

道路表記でもシンハラ語タミル語で必ず表記されている。
しかしタミル語(少数派言語)が公用語と認められたのは、1987年。
それまでは1956年に始まった「シンハラオンリー法」によって、タミル語は言語教育から排除されている。この約30年間でタミル人の不満、差別への怒り、経済格差によって「タミル・イーラム解放のトラ」を設立し、2009年5月まで徹底抗戦を続けた。

一概に言語だけが民族紛争の要因といえないが、言語から始まる社会サービスの障害は計り知れない。
公的サービスはシンハラ語でなければ申請できず、大学進学にも影響を与えた。大学にいけないタミル人エリートの爆発がスリランカ紛争の火種となった19983年7月の「ブラック・ジュライ」暴動を起こしたともいわれている。

タミル人がもっとも多く住む国は、南インド・タミルナード州(約6000万人)。
ついでスリランカが約350万人。
もうひとつ、タミル語が公用語として認めらえた国がマレーシアだ(約100万人)。
最後に公用語ではないが、タミル語話者が多く移住するシンガポール。
シンガポールはマレーシアの隣にあり、人的交流で大きな影響があり、アジアでもっとも経済発展を果たした国としても知られている。
シンガポールは大半が華僑であるが、公用語を「英語」に統一している。


以下は世界銀行エコノミストの慶長寿彰さん(元スリランカ駐在)の文章です。

少し前のこちらの英字新聞に、シンガポールの元首相であるリー・クアン・ユー氏のインタビューが載っていました。それによると、一九六五年に独立したシンガポールは、スリランカの言語政策の失敗を反面教師として、多数派民族の言語である中国語ではなく、英語を実用語と決めたのだそうです。彼は、「もしあのとき中国語を選択していたら、シンガポールは政治的にも経済的にも失敗していただろう」と述べています。
http://www2.toonippo.co.jp/rensai/ren2008/keicho/0126.html(参考資料 東亜日報
http://ameblo.jp/keicho/entry-10104861854.html(シンガポールの公共言語表記 写真)

スリランカはイギリスの植民地から1947年に独立。
その当時の国力は、シンガポールとほぼ同じだった。
当時UNDP(国連開発計画)の報告書では「今後、アジアでもっとも経済発展をする国は、日本とスリランカ」という推測があった。理由は、識字率が当時90%を超えていた国はこの2カ国しかなかったから。
経済発展の失敗要因は言語による、公共サービスの分断が大きいのではないか。


つらつらと書いてみた。
参考文献が未熟だから、Perceptionの粋を出ていないかもしれない。
書いて書いて書きまくる。久しぶりに思い出した。