SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

どうやって日本語を覚えたか。

言語習得は難しい。

中学高校の英語で苦手意識を持った人にとって社会人になってからの語学習得は苦痛に感じるかもしれない。
かくいう僕も今でも英語が苦手。
会話もそうだし書くことも苦手。
よくもまあ、インドの地で英語を使った仕事をしているわ・・とあきれた気持ちになる。


英語はいやいやでもやることになる。
この言語はもう言語というか残念ながら世界語となっている。
非常に残念だ。でも仕方ない。仲良くしないといけない。


第二外国語を学びたいと思う。
その時、どうやって自分が語学を勉強すればいいか困惑する。
そもそも外国語の習得成功体験がないのだ。

英語がそこそこできた人は、英語を学んだときの学習方法を応用すればいい。
こつこつ単語を覚えるとか、好きな音楽を聴くとか、日記を書くとか。


しかし英語が苦手だと思い込んでいる人が第二外国語を学ぼうと考えた時困惑する。
どうやって勉強すればいいのか、と。
成功体験がなく、不安が先行する。

学校教育での英語は無残な形で終わり、自信を持てるレベルではない。
英語もきちんとできないのに第二言語に手をだそうなんて、怒られそうだが、そういう人も多いと思う。

韓流好きのおばちゃんは英語を完全に忘れてしまっているけど、韓国語を一生懸命学んでいる。
そこには、韓国ドラマを愛するおばちゃんの「好奇心」がある。
第二外国語というのは、そういう意味で純粋に学びたい言語かもしれない。


さてさてそこで、どうして新しい言語を学ぼう。

ふと「俺はどうやって日本語を学んだのか?」と思った。
日本人はほとんど日本語を話せる。
日本人の最初の習得言語はまさに日本語。
まあ、読み書き話も20数年生きるとできる。
いつ自分は日本語をきちんとできるようになったか?

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特に読み書きについて考えると
幼稚園の5才か6才頃だったと思う。
今考えるとかなり遅い。
早い子なら3歳とか4歳でひらがなを書けるようになっているだろう。
幼稚園時代、ひらがなを習得しない僕をみて親が習字教室に通わせることにした。
小学校に入り「ひらがなが書けない」という事態を、心配したんだろう。

地元垂水区星陵台の習字教室に通った。
教室の向えにはたこ焼き屋があった。
今のその習字教室はなくなってしまった。

習字教室の女の先生にひらがなを教えてもらった記憶が今でも鮮明に残っている。

「ぬ」と「む」の違いがなかなか頭に入らなくてしんどかった。
「ふじわら せいじ」と自分の名前がかけるようになった時、これで50音の7音は大丈夫やと思えてうれしい気持ちになったことも覚えている。

半紙に筆で書いて覚えたり、あいうえおカードを先生が作ってくれ

先生「はい!これはなんて読む!!」

俺「ぬ!!」

先生「違う!む。」


一瞬で文字の音を頭の記憶から取り出せるように訓練される。
ひらがなを覚えることは当時の自分にとってしんどかったけど、出席するとシールか何かをノートに貼ってくれ、それを眺めるのが楽しみだった。たくさんシールがたまるとお菓子と交換してくれるシステムだった気がする。

ひらがな、カタカナを覚え、小学校に入学することができた。
小学校では漢字を覚えたりもしたが、入学前の習字教室での特訓が語学習得として一番記憶に残っている。

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南インドの言語、タミル語の200以上の文字を見ると「うえー」という気持ちになる。
全部同じ芋虫みたいな形にみえる。

それでも5歳や6歳の自分はひらがなを覚え、当たり前だけど僕は2000近い漢字を読める。
語学は誰でも習得できるはずだ。
すべての人はある程度の教育を受ければ言葉を読み、書けるのだから。

ひらがなを覚えた時の自分は必死だったろう。

あの時の習字の先生はどこにいったのだろうか。
お礼を言わないといけないなあ。。