SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

なぜ君は国際協力に固執するの

大学に入学してから4年がすぎる。
4年間のうちで何人もの友人と出会い、別れ、次の進路に進んで行った。
就職していった人、大学院に進学した人、留学した人、新米NGOワーカーとして頑張る人。


「国際協力は日本の問題を変えること」


そう考えて、学校の先生をされている方、農業の世界に飛び込んだ方。
自分にできる身の丈。これをしっかり感じ取り、実践する。
真剣に尊敬しています。話を聞いていても問題との距離の近さがひしひしと伝わる。

でもなぜだろうか。
僕はまだ、国の外の問題を見ている。
頭の隅で考えている。

正直、4年経っても変わらない。
抜け切らない。
俺は本気のミーハーなんだと思う。

援助の世界はなぜか暗い。
この世界で飯を食うことは、常に援助業界に関わること。
市民の税金であるODA(政府開発援助)や心ある市民の寄付で成り立っている。
昨年、JICAの研修事業で1ヶ月半アルバイトをした。
つまり僕はすでに、ODAの一部をいただいた人間だ。
こういうお金でこの世界を生きていくのか、と考えさせられる。


「本気で世界の貧困をなくせると思ってんのか?」


正直わからない。
ただ、現実に少し触れただけ。
何人かの顔がくっきり思い浮かぶ。

スリランカ内戦の北部停戦付近の町を歩く。
親を失った子どもたち。

許せない、とにかくそれに尽きる。
スリランカ人に対しても同じだ。

「何でお前ら、そんな戦争続けてるんだ?いつまで政府系だの反政府だのやってるんだ。25年だぞ。この四半世紀に何人の市民が死んでいるんだよ。70000人、70000人が北海道より小さいこの島で殺しあっているんだ。お前らアーリア人の祖先か、ドラビラだろうがそんなこと知ったことか。顔の色を見ただけじゃ、この数千年でわからないようになったじゃないか。そんなにシンハラ人は偉いのか。タミル人は偉いのか。先進国で援助する日本人はお前らよりえらいのか。」

国民性レベルで考えると、僕はスリランカ人に頭にきている。

そうやって頭が沸騰し、日本に帰ってくる。
生活していると日本も何十年か前に似たようなこと、比べられない規模でアジア地域で行なったことを再認識する。

えらそうなこといえねえじゃん、そう思い口をつぐむ。
僕はその時に日本人であることを感じる。

思考回路でいえば、ここが分かれ道。
ここで、日本の問題に変化しコミットするか、そのまま頭の片隅の問題に固執し続けるのか。

僕の原体験は、やっぱりスリランカにある。
戦争で親を亡くした子どもたちにある。
この子たちを、腹をくくって育て上げているお坊さんにある。

日本人であるからとかじゃない。
仏教徒だとか、戦争責任があるからとかじゃない。
僕は自分のことを誰よりも日本人だと思っているが。

自分個人が許せないその問題をどう思うのか。
それはよその問題だよ。こっちに帰って来い、といわれても煮え切らない。


「これは俺の問題なんや。この問題に出会わなかったら、俺は君とも出会わなかったやろう。たくさんの仲間と出会わなかったはず。この部分をちょんぎったら、すべてがなくなる。それに俺はまだなにもしていない。根底を揺るがす挫折さえもしてない。最低限、苦しみながらでも挑戦はしてみたい。だから、俺はまだスリランカだわ。ミーハーかもしれんけど、抜けきらん。ワルい、これは譲れんわ」


4年前から今まで固執する理由はこんなところだろうと思います。
それを、業界用語で国際協力といっているだけです。