SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

アメリカ素描

 下記は、司馬遼太郎の書いた「文化」「文明」の定義と違いについて引用です。

 高校生の頃からシバリヨウの小説を読んできましたが、文化・文明という抽象的な言葉をどのような意味で使っているか考えたことがなかった。

 

  ここで、定義を設けておきたい。文明は「誰もが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。

 たとえば青信号で人や車は進み、赤で停止する。このとりきめは世界に及ぼしうるし、げんに及んでもいる。普遍的という意味で交通信号は文明である。逆に文化とは、日本でいうと、婦人がふすまをあけるとき、両ひざをつき、両手であけるようなものである。立って開けてもいい、という合理主義はここでは、成立しえない。不合理さこそ文化の発行物質なのである。同時に文化であるがために美しく感じられ、その美しさが来客に秩序についての安堵感をあたえ、自分自身にも、魚巣にすむ魚のように安堵感をもたらす。ただし、スリランカの住宅にもちこむわけにはいかない。だからこそ文化であるといえる。

引用:司馬遼太郎アメリカ素描新潮文庫

アメリカ素描 (新潮文庫)

アメリカ素描 (新潮文庫)