大岡昇平の「俘虜記」を読み、気になった部分がありました。
- 作者: 大岡昇平
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この小説は、太平洋戦争中にフィリピンのミンダナオ島での兵士、また捕虜期間を記した著者の私小説です。
兵士としての自己の変化、軍隊組織中の人間の生しい息遣いは、他の戦争小説と一線を画す部分があります。
あわせて「野火」もぜひ。ゆっくり読む本。戦争地における人肉粗食。人は極限のときに何をするのか。
- 作者: 大岡昇平
- 出版社/メーカー: 新潮社
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前にもFacebook で書いたのですが、「俘虜記」の中で一番気になったのは「世代」についてでした。
明治末期生まれの著者は、自分の上の世代と自分の世代の違いについて語っている文章です。
私の世代は映画館へ行くのが都会の習慣となったおそらく初めての世代であるが、7歳年長の人々と我々と分かつ軽佻浮薄(けいちょうふはく)の風は、一部はたしかにこういう映像の受動的鑑賞による精神の怠惰からくるものと思われる。
我々の観念はアメリカ映画的でなくとも、感情と行為はいつかアメリカ的となっている。(中略)そうしてこうして我々の感情と行為に影響した映像の氾濫は、結局我々の思考まで彩らずにはおかなかったであろう。映画濫観の習慣を持たない我々の前の世代の人士が、あれほど重厚であるのは、彼らの思考が余計な映像に煩わされないからである。 P279[俘虜記]
大岡昇平は1909年の明治42年生まれで、終戦時36歳。
7歳年上の人だったら、1902年の明治35年生まれ。終戦時43歳。
大岡昇平自身は明治末期の生まれで青年期を、平和で欧米文化に親しんだ大正時代に生きています。
彼曰く、大正時代に生きた人と、明治を生きた人とでは内面や立ち振る舞いを含めた外目も何か違いがあるとのこと。
その理由のひとつが、ラジオや映画を若い頃に観て吸収した初めての世代。
なんだかSNSやインターネットの影響を受けたか僕らの世代に近いのかなと感じました。
残念ながら明治時代生まれの人にお会いした事が少なく、明治という具体例の出会いが自分の中にない。
今も元気な父方の祖母は、今年90歳を向かえる。それでも1922年の大正12年生まれ。
終戦時は23歳。(まさか祖母が23歳で今の自分より若いとは・・)
昨年亡くなった母方の祖母は、1917年生まれで大正7年生まれ。終戦時には28歳。
父方の祖母は何度か「あの人はほんま頑固やったわ。まあ、明治生まれの人はみんなあんな感じやったけな」
と話してくれたことがあります。
それ以来、「明治=頑固な人が多い」というイメージがあって、どうも上の文章がひっかかってきました。
昔の人が偉いとか、思考的に独立しているとか、武士道の心得があるとか、若いやつはだめだとか、年代論争は好きじゃないです。
大岡昇平の「戦中世代」にとっては、今の「団塊の世代」は軟弱だと感じただろうし、団塊世代にとってみれば、「団塊ジュニア・バブル世代」はまあ、それはそれは恵まれていると思ったはず。1980年代中盤生まれの僕らは「86世代」(86年生まれだからどんぴしゃ。何で数字なの?お願いだから言葉にして・・とつっこみたいが)とかいわれます。
以下、よく言われる例と自分の個人的コメント。ちょっと強気。
・酒を飲まない→飲み会で一気飲みをさせるような事はかっこ悪いと思っている。僕は酒は好きだし、お酒の席だからこそ話せることがあるとの思える。でも、意図的につぶれるさせるまで飲むませる、飲む事に意味があると思えない。
・車を買わない→必要ないから買わないだけでしょう。すでに車を持っていることだけが、ステータスの時代は終わっている。購買意欲を、世代の問題のようにされるのはこまる。
・タバコをすわない→健康に悪いし、1箱400円?とかお金の無駄と感じるのは当然かと。
・メールやネットの狭い世界で生きている→昔はメールがなかったんだから、比べる対象がない。20年前の人はポケベルでがんばっていたはず。
・海外に出たがらない→僕は海外で働いているけど、殊更海外に絶対でる必要性はないとさえ思う。自分はあくまでも例外。やりたい目的があるからだけ。
海外にでることもいいけど、それ以上に地元で安定して、結婚して子どもを育てる生き方を選んでいる人を尊敬したいです。
・就職も安定志向→これだけ非正規雇用の構造を生み出したのは誰ですか?製造業を中心に収益改善のため、人件費を究極的に削っていったツケです。その構造を作ったのは、2000年初期の企業経営者の方々と政治家です。そのころ僕らは果敢な中学生から高校生です。どう生きるかを少しずつ考え時期です。当時は年末になると飛び込み自殺をする人が本当に多かった。そういう時代を僕らはしっかり見ています。
終身雇用が約束され、定時に帰れる仕事として公務員(公務員でも激務の中ガンバる方も知っています)等が喜ばれるのは必然だと思います。
愚痴っぽくなっているので軌道修正。
僕ら「86世代」が考えないといけないのは、自分たちのこれから。
自分たちの子どもの世代へどう繋いでいくのかということ。
2010年代から2030年代までの僕らの時代とするなら、
それ以降の2000年代中盤を担うのは僕らの子ども世代。
例えば2030年代に僕らの子ども世代(まだ結婚もしていない自分がいうのも問題ですが)深刻な社会問題を引き起こし、取り返しのつかない問題が続くのであれば、こらは子どもたちの問題以上に僕らの「世代」の責任です。
今を飛び越えて未来をよりよく導く魔法はないけれど、僕たち自身が世の中の問題に関心を持ち、関わり方に多様性を持たせ、情報を共有させ、いろんな方向から問題へ取り組んでいくしかないのかと感じる。国だけ、企業だけ、市民組織だけ、では到底太刀打ちできません。
僕らにできることは、幸運なことに昔よりもよっぽど間口が増えている。いろんな社会の現実を、SNSやネットを使いながら、収集しながら、行動への足がかりを作れます。
インドにいるからこそ日本人としてできること。
地元にいるからこそできること。
大阪や東京に出ているからこそできること。
その場所ごとで、自分の関心をきちっち把握して、世の中へ仕事や趣味を交差させる生き方。
Facebook の友人たちのかわいい子ども写真をみながら、そんなことを考えました。
引用にはないけど、司馬遼太郎の「21世紀を生きる君たちへ」が頭に浮かんできました。
- 作者: 司馬遼太郎,Robert Mintzer,Donald Keene,ドナルドキーン,ロバートミンツァー
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