SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

金がない。時間がある。金がある。時間がない。

学生とは時間と引き換えに金がない存在。
貧乏であることが許される時代ともいえます。

バブル時代の大学生が高級車に乗ってたなど昔話を聞いても「すげー」とは思いますが、「うらやましい」とは全く思えないです。まあ、ひがみもはいってますけどね。

学生とは金を払って勉強しているわけで、時間を買っているの存在だからそれで金がないのは当たり前なんだと最近気づきました。


学生NGOをやっているときは特に「金がない」とぼやいていました。
自分自身が貧乏というより、関わる組織が貧乏でした。

イベントをしたい。面白いアイデアはある。あの人の話を聞いてほしい。でも金がない。
でも謝金はきちんと払いたい。相手が学生だから良いよと言われるほど、突っぱねる自分がいたり。
大人として扱ってもらいたい、組織として扱ってくれと勝手に思ってたのでしょう。

金をねん出するのに苦労しました。
協賛金を集めたり。京都市内で協賛してくれそうなショップを回ったり、そもそも参加者(費)を集めるために大学でチラシを配ったり。知り合いの人に頼みこんだり。

自分のポケットから1万くらい出そうと思えばできるわけですけど、それはやりたくない。
助成金を申請したり。
落っこちたり。
ぼやきつつも、あの手この手でねん出したものでした。

そんなことを酒の肴に飲み代は消えていくわけで。
若いです。

「大学生」がすでに過去形の名詞になってしまいました。
勉強しまくったと自負できるわけでもないけど、もう大学に戻りたいとも思わないけど自分にとっては物事を考える時間でした。

働きながら、自分の生き方を考えたり、将来のことを考えること。
あのころから1年しか経ていないのに、全く違う考え方だということ。
どちらも、人生にあって良いとおもいつつも、大学生と社会人のギャップを他の同世代と同じように感じる日々でもあります。


たまに、本気で頑張る大学生がいたら応援してあげたいと思うわけです。
こういう人は結構いるのでは?と思うわけです。
社会人の卵たちは、とにかく時間がなく学生に関われる時間はほぼ皆無で、それと逆にほどほどに金がある。

学生NGOがうまく続いていかないのも、卒業後の社会人の取り込みが下手だというのも理由かもしれません。
長く続いている団体はそれはもう代々のネットワークがあるようです。
そんなネットワークを作ることも頑張ればでますが、いまはそんな気もなく。

まあ出来る限り、自分の関わった人には自分なりのことをしていきたいと思うわけです。
雑感このうえないぼやき出した。