SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

あ、俺はインドで何も失うものがないんだ。

最近、ブログが途絶えていた。逆にtwitterなるものに手をそめ始め、どこからかフォローしてくる人が増えている。内容はほとんどがインド事情の小話。コンパクトにまとまるので、データの蓄積になるかる。まあそれくらいのこと。

ブログをここ1週間ほど書けなかったのは、「仕事が忙しい」の一言につきる。今週末にwebサイトの航空券情報の更新、さらにweb北インド店のオープンが続いており夜もサイトアップの作業で缶詰状態。。昼はトラベルデスクやルーチンワーク。相方さんともここ1週間ばかりスカイプできず。この文章を書き終わったらまた、サイトアップに取り掛かるわけです。
仕事が忙しいのは大いに結構なこと。そのぶん学ぶことが多いし、仕事のスピード感覚を意識するようになった。与えられた仕事をこなし、よし満足。それでも悪くないが、僕がここに来た意味を失ってしまう。

一言でいえば、僕は仕事をするためにインドにいるのでなく、「修行」をするためにいるということ。お金をためるためにインドにいるわけでも、インドカレーを極めたいわけでもない。。「じゃあ修行ってなんですか?」と言われそう。よく自分でも自問する。それがわかっているようでわかっていない。これが一番の俺の問題なんだろう。僕の同期で入社した年上の先輩は「インドビジネスで起業する」という目標を持ってここにきている。先輩にとって、インドで仕事をする、苦難を経験すること自体が、将来の血となり肉となるのだ。今のところ自分に関して言えば、「ニュースでわからないインドの現場を体感できる」ぐらいのもの。スタディツアーの参加者とさほど意識は変わらない。まだお客様状態。文化人類学みたいにのめり込む感覚はそこにはない。

半年後違うことを考えている可能性も大きいな笑
書きながらいろいろ考えている。

なんとなくインドに来たわけじゃない。正直、南インドで働けることは僕にとって大きなチャンスだ。一日一日学ぶことが山のようにある。タミル語も学べるし、仕事をしながら嫌でも英語を使える。インド人に1日2回は苦情の電話をできる。。。根性が多少ずぶとくなるかもしれない。
社会人というのはこういうものなのか。大学を卒業すると、はっきりいって誰も自分の道を選んでくれない。そういう生き方は人一倍嫌いだったけど、案外学生の時はそれに安住していたんだろう。社会人としてインド・バンガロールに住み、働き、自分のことについて真剣に考える。あの頃は必死だったな・・とおっさんになってから思い出話にするだろうけど。

強いてここに来た理由は、学びが多い環境というより、「俺は何も失うものがない」という感覚がほしかったのかもしれない。今日1日をどう過ごすかは自分にすべてかかっている。大きな失敗をしても、いくらかお金を取られても、まあ日本に帰れればなんとかなる。うちにこもりがちだったここ1年を何とか打破したいと心と体が自然に感じとっていたのかも。貪欲というか、成長したいというか、もっともっと、という感覚を求めているところがある。

自分の成長を考えるとこんなに恵まれた場所はない。そんな場所で、自分をひねり出せば勝手にやりたいのことをやりまくれるんだから自分はかなり幸せもんだ。

バスの中でよく思うのでした。「あ、俺はインドで何も失うものがないんだ」とね。
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