レミオロメンの「3月9日」を聞いて、腹にたまった言葉を吐き出してみました。
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トロントから帰国して、家族を真剣に考えるようになった。
それから半年近く過ぎて、家族全員が家にいることが増えた。
理由の一つは、兄貴が親父の仕事を手伝いだしたこと。
僕が帰ってきて、休学中で比較的に家に居ること。
僕の場合は今まで「NGOだ。NPOだ」といって、毎日帰宅は9時以降だった。
大学に入ってから3年間、家族全員で飯を食べることが激減した。
家族5人が揃うのは、月に2回くらいだった。
今、僕を含め家族1人1人が5人で過ごす時間を大事にしている気がする。
僕自身、今の状態を「かみしめている」という表現がぴったりだ。
僕は、あと数年すれば家をでる。
父親の持病は回復していて、母の足もひどくなっていない。
兄はいい年だし、妹は来年就職する。
17年前に今の家に引っ越して来てから、成長しながらも家族の形は大きく変化していない。
僕が小さかったころ住んでいた家にずっと住んでいたら、どうなっていたかわからなかった。
前の家は、震災で全壊していた。
人生なんかどうなるか、わからない。
両親を感謝すること。
家族が居るから、両親がいるから大学まで行くことができた。
休学までさせてもらっている。
スリランカに行くたびに、ある孤児院に訪問する。
紛争で家族を失った子どもたちのこと。
僕の国際協力に関わる原点はこの場所にある。
自分はこの世の中でどれほど恵まれた立場であるか。
今まで、受身で誰かのせいにして生活していたんじゃないか。
この問題は、「宗教戦争」でも「貧困や飢餓」でもなかった。
これは、俺の問題。
物の見方を変えられた時間。
だからスリランカという国から離れることができない。
家族というよりどころを孤児院の中に見出す子どもたち。
家族の大切さを考えたこともなかった自分。
今、こうして生きているのは仲間、尊敬する人たち、そして家族の存在。
僕は「自立」していく過程で、これから多くの出会いや別れがあるはず。
たくさんの感謝する他者との関係性が、自立を意味している。
どんなに辛く、追い込まれることがあっても、自分は1人ではないという居場所は家族だと想う。
何十年経ち、家族という形はすでになく、思い出になっていてもかわらない。
心の中に、自分を育ててくれた家族を感じれること。
言葉にしなくても、「ありがとう」という想いを持つこと。
僕の人生で最も大切な部分だと信じている。