SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

おくりびと

人は死に向き合った時、悩み、苦悩し、助けを求める。
だから、世界中に宗教って存在するんだろうか。
それらが慣習化され、儀式的な意味が強くなる。
そんな儀式を簡単に捨て去っていいのだろうか。

経済的豊かさを追求すれば、他者からみれば奇異な一般化できない独自の文化を崩壊へ導く。
経済効率中心主義とは、世界中を同じ教科書で物を考えることではないか。


2月4日(水)夕方。
三宮の神戸国際会館で「おくりびと」を観賞。
席は予想以上に空きが多くて、年配の方が多かった。
隣のおばあちゃんは、何度もハンカチで涙を抑えていた。


私はこの映画を日本人として観ると同時に、日本文化を紹介する立場として映像に釘付けになった。日本にも、美しく、一つ一つの所作に意味を持たせる文化が残っているとは。
この映画を外国人はどのように感じるだろうか。
私は、これぞ国際社会に発信できる「日本の誇るべき価値」だと信じる。
国際政治者はそれを「ソフトパワー」と呼ぶだろうが、僕にとってそんなことはどうでもいい。
こんなに美的で、死者への心遣いが葬儀には含まれているのだ。
他者への思いやり、それは死者であっても全く変わらず礼節を重んじる。

日本の政治の荒廃。
安易な国民へのおべんちゃん。
誰がみてもわかるのに、なぜ変わらない。
なぜ、腹でものをいわないのか。
ひたすら工業製品を作り、夢を持てず、将来の不安からひたすら貯金に励む社会。
今の日本社会は誰も幸せになっていないのではないか。
お金では換えられない、人間としてのよりどころ。

私たち日本人が表現すべき日本が発信する価値とはなんだろうか。
日本文化の凛とした行動様式は、日本の目指すべき価値に大きなヒントになるんじゃないか。
私たち1人1人が見落としてはいけないかけがえのない共有財産。
お金で換算できるもの価値を置きすぎる日本人。
株や土地の個人財産ではなく、地域に残る祭り、歌、食、踊り、葬式。
後者はなくなったとき、日本人たる所以も消滅するのではないか。


私は大切な人の死を思い、自分の生を思う。
この映画は、私の心の中に日々たまっていく邪念を振り落としくれる。
すばらしい映画に出会え、制作に関わった方へ感謝を述べたい。
本当にありがとうございました。

「おくりびと」オリジナルサウンドトラック

「おくりびと」オリジナルサウンドトラック