SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

「サイゴンから来た妻と娘」(近藤紘一著)

昨日10月2日はガンジー誕生日で仕事が休み。前日から花の金曜日ばりに、金曜日の夜は、友達と飲んだり語ったり。飲みながら、日常生活と仕事に没頭していると考えることを忘れるように隅っこにある、だけど大事な話をいくらかでききました。


昨日からずっと読んでいたのが近藤紘一著「サイゴンから来た妻と娘」(文春文庫)。南ベトナム崩壊時に特派員として現地で、戦争の中を歩きつつ、人生の伴侶まで得た著者。

ベトナム崩壊にともない、国籍を失った妻と娘とともに日本で暮らしながら、ベトナム人と日本人の文化、教育、生き物への価値観、宗教などを自らの経験ベースで書きつづっています。

その中でも、30年前当時のベトナム難民の受け入れを拒む日本政府の対応に対して厳しく指摘する部分。

 現在私たちが享楽している輸入文化の多くは、多民族社会の種之異なる文化や価値観の血みどろの戦いの中から生まれ、培われた。自由にしろ民主主義にしろ、そうだ。命をかけた切磋琢磨の中で多くの血が流れ、多くの生命が失われ、これらを養分にして自由や民主主義の概念も育った。そして私たちはこの上ずみだけを輸入し、近代国家(あるいは先進国)を名乗っている。他国の動乱や後進性に乗じて経済を富ませた。

 そして必要とあれば「国際人になれ」と教え、その一方で単一民族、単一の文化の特殊性を口にするのは、「私たちはこの世からおいしいところはいただきますが、苦しいこと、辛いことは分担しません」と公言するに等しい。あるいは私たちは特殊学級の児童ですので、この世に自分の異なった価値観や発想や風俗習慣があるということを理解いたしません。理解しようともおもいませんと、自らの未熟を宣伝するに等しい。

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

著作から30年が過ぎ、日本も外国人労働者をいくらかの分野に限って受け入れ始めている。しかし難民受け入れに関してはいまだに、江戸時代の日本のようにほぼ鎖国(実際は出島でやり取りをしていたけど、ほとんどは認めていないのと同じように)を貫いている。

門戸は30年前より少しは開かれているけど、日本人そのものの考え方はほとんど変わっていないように思う。

近いうちに、日本も多くの外国人を受け入れる日が来る。間違いなく。その時のための対策が、多文化共生関連のNPOや学校や自治体の頑張りが本腰で必要になる。

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大した見識もなくにつらつらと書いたけど、筆者の当事者との関わり方に、とても惹かれる。なんというか、プライベートでも仕事でも人との関わり方として。僕がジャーナリストのを「かっこいい」と思うのか、こういう部分に集中している。新聞記者のような身分でなくても、自分がそのものに関わり感じた思いを、研ぎ澄まして言葉に置き換える作業は何物にも代えがたい、生きる中の作業のように思う。書きたい、と湧きあがってくる問題にどれだけ出会えるか、向き合えるか。わからない。わからないからこそ人生は面白いとよくいう。手さぐりであっても、自分の身に置かれた主題に取り組むめることが、生きる中でも濃縮されたおもしろさなんだろう。