SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

山城新吾とN先生の教育論

数日前に俳優の山城新吾が亡くなったそうだ。
もう何年も前にテレビから消えた昔の俳優だが、この人のことは僕に突き刺さるものがある。


2005年9月。僕はスリランカの北部トリンコマリーという街にいた。
前年のインド洋大津波の影響を視察、大学で集めた義捐金を届けるという事業に参加していた。

宿泊していたバンガロールで男3人の相部屋になった。

僕と同期の友人のMとN先生。
1年生だった僕とMは先生との相部屋で緊張していた。

N先生は聞く。
「君達、将来はどんな職業に付きたいの」

Mは「教師になりたいです」と言った。
現在までのN先生との付き合いでわかったことだが、先生は教育というものにとても大き疑問を抱いていた。そして、先生は自分の高校時代の体験と山城新吾との繋がりについて話はじめた。


N先生と山城新吾は同じ「山城高校」出身。
N先生は貧乏で高校に通うどころではなく、アルバイトにいそしむ学生だった。
山城新吾は、結構やんちゃな学生でこちらも学校にかよわなかったそうだ。

そして2人は、出席日数足りず留年を余儀なくされるはずだった。
しかし、N先生は卒業した。
山城新吾は卒業できず、1年留年のち卒業。

理由は、N先生が大学入試を受け、京都大学に合格したためだった。
高校側は、出席日数が足りなくても京大合格者を留年させるわけにはいかず、政治的判断で合格させた。山城高校は現在でも京都大合格者を多数輩出する名門高らしい。

山城新吾はもちろん留年。
卒業を前にして山城はN先生に言ったそうだ。
「なぜ、お前は卒業できて俺は卒業できないんだ。」

先生は、そのときから教育について考えるようになったそうだ。
なぜ、大学合格者はルールを敗れるのか。

その後、山城新吾は1年留年して卒業した。
山城の本名は、渡辺という。
山城高校への悔しさを忘れないために、山城という芸名を選んだそうだ。
そして、東映ニューフェイルで俳優デビューを果たし、スター街道を走る。
N先生はその後通産省からアジア経済研究所、大学教員という道を辿る。

高校が大学合格者を卒業式まで出席させて、なんとか卒業させるという話は結構ある。
僕も教師なら生徒が志望大学に受かり、出席数が理由で留年しそうなら、なんとか手を考えるはずだ。

でも本来は、おかしい。
そのことを改めて考える事件だった。
生徒への平等な対応が求められる教育という分野。
当時の山城新吾の気持ちも察すれる。

教育の掲げる理念と、その中に内在する不平等な一面。
このことを考えるとき(ほとんど考えないが)、山城新吾のことをふと思い出す。
やんちゃをした人生だったそうだが、号冥福をお祈りします。


この話を聞いた僕は今、教育言語政策について研究するべく大学院受験を考えている。
教員志望だったMは現在、大阪大学大学院で福祉分野の研究を進めながら、自閉症の若者のためのフリースクールで非常勤講師をしている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E6%96%B0%E4%BC%8D