SEIJI FUJIWARAのブログ

30代、貿易課で働く双子の父です。

歴史を考えるヒント(網野善彦)

ジュンク堂三宮本店で目に留まった(ジャケ買いした)一冊。

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

 

  題名の通り、歴史を考える上での要点をまとめている。その要点も僕好みだったのでずんずん読めた。やや難点は歴史認識の視点を提供する本なのに、天皇制は不要と個人の主張をちらりと入れてくるあたり位かな。

 

 特に「自分の国の名前が決まった年」についてが面白かった。

 日本人の多くが自分の国名(日本)と決まった年を知らないと筆者はいう。僕も知らなかった。「てか、どの時点から?」と頭によぎった。つまり曖昧なのだ。
アメリカ人に聞けば「1776年」、中国人に聞けば「1949年」と大抵の人が答えることができるに日本人は曖昧なままにしていると。

著者曰く、

 それでは、日本という国名が決まったのはいつなのかといいますと、現在の大方の学者の認めるところでは、浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された六八九年とされています。浄御原令は天武天皇が編纂を開始して、死後その皇后の持統が施行した、はっきりと存在が確認されている法令です。その前に近江令があったという説もありますが、これは整備された形ではできていなかったという説が有力です。
 対外的には、大宝律令が制定された七〇一年の翌年、中国大陸に到着した遣唐使の粟田真人が当時の周の皇帝・則天武后(中国大陸の国家の歴史上、唯一の女帝で、国号を唐から周にかえています)に対して、「日本」の使いであると述べたのが最初といわれており、これは、ほとんどすべての学者が認めています。(P15-P16)

 ネットで検索すると、浄御原令と大宝律令説が多かった。ただ対外的に「僕ら〖日出づる国〗改め日本です!!」と外交デビューしたのは702年で間違いなさそうだ。


人によっては「日本国になったのは戦後でしょ」「近代憲法で制定した大日本帝国憲法からでしょ」という人もいるでしょう。でも、上記2つの視点は個人の歴史観が多分に含まれている気がして好きになれない。

 僕としては、大宝律令前後に国内で「倭って唐(中国)から評判悪いから日本で行こうぜ」の機運が高まり、実際に海外向けに使ってみたのが702年、と覚えておこう。日本という国は歴史の中であやふやなことが多い。国名一つとってもいつ制定されたか大半の人が曖昧。すべてを決めつけるのは良くないが、曖昧なことは曖昧だと認識して説明できることが大事だ。日本について曖昧なことが一つ明確になった。